昭和五十二年八月二十日 朝の御理解 第六十七節
何事もくぎづけではない。信心をめいめいにしておらねば長う続かぬ。
昨日、桜井先生達が夫婦でお参りして見えて、あちらの奥さんのお届けでしたけれども、この頃丸少の全国大会に、あちらの奥さん、子供達と一緒について行かれました。そして、あちらで丁度丸少が行進の時に、久留米の実をいうたら四代をお継ぎにならなければならない石橋サチ夫先生という方が、もう年輩も五十幾つでしょうか。もういろんな事情で現在は教会、兼務教会長として、福岡の吉木先生がなっておられる。その前は三井教会の荒巻先生が教会長として兼務しておられました。実をいうたら大体、もう五十幾つになられる丁度教会長、久留米の教会長として、私共は適当なお方だと思うのですけれども、まあいろいろ事情があって、まあ出社がいろいろありますから、ああでもない、こうでもないという人達がいろいろありましてね。今度の吉木先生が辞められるというので、会議が先日からありました様なことでした。ここあたりも通知がありました。丁度こちらの行事が重なって行かれませんでしたが、どうなったかは分かりませんけれども、サチ夫先生は最近、信心を求めておられるということを聞きまして、大変嬉しいと思いました。 本当にもう丁度丸少が盛んな勢いで、九州からは丸少は合楽だけだったでしょう。ああいうバンドから人数の点においてですね。それでもう本当に合楽でおかげを頂いております、御比礼が立っておりますという風な話をして、あちらの武志君と美津枝さんが丁度、石橋サチ夫先生が福岡の教会で修行中の時分に、大変子供達が二人お世話になっとったそうです。大変可愛がってもらった。それで「武志君やら美津枝さんはどげんしよんの。」と言われたら、「今日一緒に出とりますち。太鼓を叩きよるとが武志でございます。美津枝があれでございます。」というたら、大変喜ばれて、大変盛んなことではあるなと言うて、いろいろ話されるから末永先生のビリグイでの御比礼の模様を話されましたら、えらい感動されましてね。そして合楽からおかげの泉やら新聞が出とりますからと。是非あんたの名前で送ってくれと。教会からというわけには参りませんから、桜井先生の奥さんの名前で送ってくれないかというて御依頼を受けましたから、こちらにそうお願いしたというお届けがございました。もう本当に教会も三代となり四代ともなりますと、何とはなしに信心が抜けがちなところが多いです。けれども何をかですね。合楽の丸少を見られて何かを感じられたのでしょうね。只ごとじゃないと。そして人の【 】特に久留米関係では、合楽で何かの行事といっても、出て来んならん先生でも出て来れないというのは、やはり合楽に対するいろんなあれがあるのだろうと思うのですけれども、そういう中にあって、まあ分かりやすくいうなら、合楽の悪口ばっかり聞かされておられるのが、サチ夫先生ではないかと思いますですよね。けれども、あの勢いというか、丸少の様子を見て、いわば只ごとではない。同時に今、南米辺りに布教して、そういうご比礼が立つということは只ごとではないと感じられて、結局自分の信心ではそれこそ、教会長であるところの一時教会長をなさっておられたけれども、皆が久留米教会長としてはというので、次々と福岡の三代辰次郎先生が亡くなられた、三井教会の荒巻先生が、そして今度はまた吉木先生が。その吉木先生が今度自分から辞めると言っておられるそうです。だからこの際、もう本当は自分が教会長として、おかげを頂かなきゃ先代にも先々代にも済まぬといった様な気持ちがね、出来てこられたのではなかろうか。そしてなら、いうなら悪い評判だけしか聞いてない合楽から出ておる本でも読んで見ろうという気になられたのではなかろうか、と私は思うて、私は有難いことですねと言うて、お取次ぎさして頂いたことですけれどもね。
何というても久留米の石橋先生というならば、この筑後の国に大徳者として神様も金光様も認めておられた自他共に筑後の大徳者としての、後々の先生方、二代三代を継がれ、そしてサチ夫先生の代になって、そういう様な状態ですから、まあ本当いうならば、吉木先生が辞められるという良い、いうならばチャンスが来たわけです。いうならば石橋先生としてはチャンスを与えられなさったわけです。そこでやはり親代々受けて来た信心というものは素晴らしいけれども、それを手を取って教えてくれるものがなかった、といった様なことから合楽辺りで出ておる、その次々出ておるおかげの泉とか新聞やらでも見てみたいとこう言われた。
「信心は釘付けではない。」ということは、信心、いわば求道の心というものがなからなければ、もうそれは釘付けと同じことだと思うですね。もう信心はこうだと。いや教団全体に釘付けになっておる様なものを私は感じます。または地方に参りましても、御比礼の立っておる教会は別として、いうならばやっと立って行きよるといった様な教会が、しかも何十年というその歴史を持ちながら人が助かっていないということは、信心がそこで釘付けになっておるからだと思うです。そして例えば助かる話を聞いても、そんな事はないという様に、まあそれを受け入れ様としない。信心をめいめいにしておらねば長う続かんとね。それこそめいめいにめいめいの信心の立場で信心を進めていけば、必ず信心が進展していくだろうと思いますね。
例えば今教団で、教団全体の一つの運動として、御取次成就信心生活運動という運動が展開されて、そして同じ様なレベルのところに皆を置こうとしておるわけです。そういう様な私は行き方が、それは本部からこういう行き方になるから、皆足並み揃えんならんというて、揃えた足並みでは私は本当な信心が進められないと思う。その人その人によっての、その教会、その教会に応じての信心でなからなきゃならない。それでいて、煎じ詰めていくと同じ金光大神のお取次を頂いての御比礼であるということになる。
昨日の晩突然、大阪の泉尾教会の修行生の、あちらの親先生の車だけを運転されるという先生が、三十何才とかいわれる。合楽におかげを頂きたいからどうぞよろしくというて電話が掛かってきた、というのです。それで丁度、ここの井上太郎先生達が同期の先生でしたから、ならあんた達がサービス万端の上に、あんた達が受け持ちなさいと言うておりましたから、丁度月次祭のちょっと前に着かれたらしいのです。それで月次祭を頂いて、そして後遅うまで信心話をさせて頂いたらしいですが、昨日私、梶原君から聞かせて頂いたんですけれども、もう大変感銘を受けて、おかげ頂いたと言ってましたと。そして結局は私の方の親先生が言うておられることと同じであることが分かりました、ということだったそうです。実を言うと本当は全然反対なんですね、私と泉尾は。泉尾は例えば外部へ向けて、世界中を駆け回っとられるといった様な感じの先生です。
私は例えば、もうどこにも出らないという行き方ですね。けれども人が助かっておるということにおいては、まあ同じかも知れませんけれども、言うておることは実は違う。まあ例えばお月次祭の御説教なんかは、もう泉尾辺りとは全然雰囲気の違った御理解だったと私は思うのですね。例えば、あなた百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまでという様な事をいうが、もしなら九十までも百までも生きとるけれども、今日はその日です。私は七十四才になるおばあさんが、もう金やら地位やら名誉やらには全然恵まれておられた方なんです。それが只、息子と嫁さんとの間が合わないために、自殺したが良かろうか、有料の養老院ですかに行ったが良かろうかという相談に見えた。<あんたが良かごったいと言うごたる気がしましたけどね。>それはもう本当に、最近その方の銅像まで立っておるね。お金は沢山持っちゃる。それでいて、もう七十にもなってから養老院へ行こうか自殺しようかという様な、言い方をされる人の話を月次祭の日にしたんですね。こういう様な、まあ百までも生きられるなら、まあだ二十何年生きらっしゃらにゃならんが、本当に養老院に行こうか死のうか、いつもそこんところば行ったり来たりしござる。それこそ名声の高い人ですから、あっちこっちから話にきてくれちゅうと、もうヨーロッパ辺りまで行かれるですね。それで丁度ここで、あの修行生の研修があっとった時でしたから、その研修をやっぱり熱心に聞いておられました。大変おかげ頂きましたと言われるから、私は皆に紹介しました。このおばあちゃんはとても偉い方で、こうこうですよと言うたら、自分も出て来てから、それを最近銅像が出来て、こうこうという話をなさるわけです。それでハイハイちゅうて聞きよるなら、いつまでもさっしゃるじゃ分からんと思うたから、まあ良い加減のところで、話を打ち切らせて頂いたですけれどもね、もうその名誉欲に固まったというかね。この頃からは天皇陛下へ拝謁も仰せつかっておられる、という程しの地位やら名誉やら金やらは。
だからそれだけでは幸せじゃないということが分かりますよね。それでなら誰でもの願いであるところの、あなた百まで私は九十九までも生きたらです。もう二十何年間は地獄のということになる。そこでね、私がいつぞやお道の新聞に出ておりました、「お前十八、私二十才、死んでも命がある様に、使うて減らぬ金百両」といった様な、それこそ結構だらけの様なことがあるけれども、こういう事は信心頂いとっても、あろう筈がないという話が記事の中に出てました。私はそれを頂いた時に、金光様のご信心は、それが頂けるんだという話を月次祭の時にしたんです。でなかったら百までも九十九までも生きることが、とにかく早うお迎えに来りゃよかばってんというごたると私が思う。
例えば私が丁度、学長の田中さんがもう七十一でしょうか。それでいてあの若々しい声でしょうね。だからね、もう精進一つではです。私共がいつも心が若々しう、それはどういうことかというと、信心による瑞々しさということなんですね。信心によるところの若々しさというのは、信心の有難さというものが、いつも瑞々しいまでに心の中に頂けておるということが若いということなんですね。使うて減らぬ金百両と。なら合楽の皆さんの場合は、皆ここんところのおかげを頂いておられる。貧争病のない世界ということを私が言うが、例えばそれは百円のその日暮しかも知らん、千円のその日暮しかも分からんけれども、もう確かにその日その日のお繰合わせを頂きながら、しかも以前は無かなら心配しよったけれども、それこそ食べるものがなかっても、明日は明日の風が吹く。明日は明日のおかげが受けられると確信して生活しておるならば、それは使うて減らぬ金百両だよと私が。それは勿論どんどん一万のその日暮し、十万のその日暮しが出来る様にもならなければいけない。
この頃から久富先生が大祭前に、丁度四十六俵お米が、四月の十六日の大祭にあったのが、六俵しか残ってない。いや四十六俵食べておる、という話を聞いてから、はあ大変なこっちゃあるばってん、有難いことちゃあるのと私は申しました。そしたら今度の大祭には五十俵からお供えが来とる。<これだけの人が頂いて、それこそ尽きることのない。>これは米だけではない。一切がそうなんです。そういうおかげの頂けれる世界、使うて減らぬ金百両。頂いても頂いても食べても食べても尽きることのないおかげを神様が下さる、この方は。死んでも命がある様にね。お道の信心をさせて頂いて、心が輝き光る様になる。心に光を頂いて、魂の世界に入るならば、あなたの行くところはもう光明世界だ、とこう言うのです。いうなら光を持たない霊の哀れさというか悲しさというのは、もう自分がこの世は苦の世だ苦の世界だと、この世ででも苦労のあることを当たり前の様に、もう当然のことの様に、これはもう、この世に出てきた以上、この苦労はもう当然のことの様にして、言うておる人達の様に、あの世に行ってももう何じゃ彼じゃ分からん。仏教的にいうなら飢餓の世界とでも言うか、もう何か彼やらわけの分からん世界に入って、それをもう当たり前と、そこから抜け出そうとする精進すらしてない霊が、まずはほとんどだということです。これは合楽理念に基づいて、なら霊のこと、霊界のことをいうと、これは私が神様から頂いて、これはあらゆる宗教が説いて来たことと全然違うです。けども私が言っておることが、一番新しくて本当だと、私が言っておるわけです。
だからあの世というところは、この世で真の信心をさせて貰い、心に光を頂いて行かなければどうにも出来ない世界だと。それで十燭光の電気を持っていけば十燭光の光、百燭光、万燭光の光を持っていけば万燭光の、いうならば光明社会に住むことが出来るんだと。というていかに霊のそういう働きが出来る様なおかげを頂いても、子孫のために、孫が転んだから起こしてやろうという働きは、これは出来ないというのも、合楽理念の、いうならば独自性です。霊様がいろんな働いて下さるといった様なことを、お道でもいうて、そうじゃないです。働きが出来る筈がないです。霊様どうぞお願いしますというのは、丁度死んだ者を舞台に引っ張ってきて踊れというのと同じことです。出来る筈がない。只霊は光明世界に入ってです、いわゆる霊ながらの働きが出来るだけです。霊ながらの幸せは得ることが出来るということです。十万持っていけば十万の、いうなら生活が出来る。百万持っていけば百万の生活も出来るという霊ながらの働き、霊ながらの助かりが頂けるということだけであって、自分の子供やら孫達のために働いてやるということは出来ない。お徳を受けて、あちらで金光大神の、いうならばお取次を霊ながらに願われることは出来ます。けども自分の力というものは、現世にまで働きかけるということは絶対出来ない。ですから私共が信心して光を頂いていく。そして、いうならばということは、いついつまでも光明世界に生き続けることが出来るというのですから、死んでも命がある様にというのは、そういう意味だと私は説いておるのですね。ところがです、泉尾の先生はどうかというと、そうではないです。只願って願って願い抜いていく。そりゃもう命のある限り命がけで祈られる。命がけで願われる。私のいうのは合楽理念の、いうならマスターをしていくということは、嬉しう、楽しう、しかも愉快におかげが頂けていくという行き方。
先日ある本を見せて頂きよりましたら、玉水の湯川先生のお言葉が少し出ておりました。信心は嬉しう、有難うやって行けれる信心でないと本当ではないという様なことが書いてありました。ですからそういう意味で、湯川先生の信心とは私の信心はこう通ずるところがある様ですね。私共はそれに、まあ一丁愉快なという風に言っておるのですね。ですからもう先生の話を聞いておると、もうそれは大変な苦労、その苦労でもまあ一生懸命していかなきゃならない。そして願って願って願い抜いて行くという様な行き方ですからね。大体は丁度、陰と陽の様に違うです。けれどもその陰と陽が一つになれば、同じものが生まれてくるという時もありますけれどもね。泉尾から来た修行生は合楽の信心はその様に頂きとめて帰ったということでございます。 私は今日は皆さんにね、釘付けではない、またはでなければ永う続かんということがです。求道心、なら合楽で求道心といえば、もう合楽理念の行者とお互いがなろうということです。生活の上に、お商売の上に合楽理念をもってする外はないとする程しに合楽理念を基にして商売をしよる。合楽理念をもってする外はないと思うて、じゃない確信して百姓をし続けて行けと。その合楽理念は絶対のところまで出て、いうならば完璧に向かって前進して行こうというのですから、これはもう限りがないです。しかもそんなきついというのではなくてです。それこそ嬉しう、楽しう、愉快にそれを進めて行けれ、自分の心の光りを、いよいよ自分で確認しながら大きな光をもってあの世に行こうというのですからね。釘付けではない信心が一歩一歩前進して行くことが出来る。しかもそれぞれの信心に釣り合うた、いうならば合楽理念、子供が合楽理念を思うたら、子供でも合楽理念に取り組めれる様に出来ておるのが合楽理念。どんなに巧者な人でも、どんなに信心に詳しい人でもね。その求めに応じて行けれるのが合楽理念。
だから合楽理念をもってするならばです。信心は絶対に釘付けにはならない。また合楽理念をもってするなら絶対に金光様の信心、いや合楽の信心は止められないということになります。もし釘付けであるとするなら、また信心を止めるならば、いかに合楽理念を頂き行じていなかったかということになるのですね。本気で合楽理念をマスターさせて頂かなければならない。泉尾の先生の御信心と、私の信心を先日のお月次祭に聞いて貰った一部の話からです。確かに合楽の信心をすりゃいつまでも若々しう、しかもいうならば尽きぬおかげ。使うて減らぬ金百両のおかげ、同時に死んでも命がある様なおかげの頂けれるのが合楽の信心だということでございますね。そういう信心をです。
例えば、なら今度は久留米の教会長になられるだろうと思う石橋サチ夫先生が合楽の信心を分かりたい、あちらから出ている本を読んでみたい、新聞も見せてもらいたいと言われるという話を聞いてね、いわゆる合楽の信心、いうならば甘木の信心、同じ甘木、久留米、合楽が不思議なことに、三代金光様の御在世中に三つのしん愛会を下さってある、同じ筑後に。甘木の信心には「真愛会」と下さってあるし、久留米はここの神愛会よりもずっと遅くでしたけれども、あちらの手続きの先生方もお願いをなさった時に「親愛会」と下さってあった。ここの会が一番初めに発会する時に頂いたのは「神愛会」。私は神愛会という大きな傘に真愛会、親愛会が入っておるところを頂いたことがあります、昔。
これはどうでも一つ、合楽の神愛会の傘下ということは大変失礼ですけれども、同じしん愛会が一つになってですね、一つの傘に全部が入れる様なおかげを頂いた時に、いよいよ九州の信心はまた、生き生きとして来るということを私は確信致します。それはどういうことかというと、なら合楽理念の徹底といった様なことがです。確立されることを、いうならば願われる様な信心になってこられたら、なさったとして、石橋先生が、ああ合楽理念とは素晴らしいというて、合楽理念をもって久留米教会にお取次が出来る様になられたら、素晴らしかろう。そういう神様の願いがこう適えられいきよる様に思うて大変有難い、うれしい思いを致しました。どうぞ。